約束が頭痛の種になったとき
長年にわたり、自動車メーカーは、ソフトウェア定義型車両(Software-Defined Vehicle/エス・ディー・ブイ)という新時代を謳ってきました。 このビジョンでは、クルマはスマートフォンのようにアップデートされ、夜間に新機能を得て、安全性が向上し、工場出荷後もドライビング体験をパーソナライズできるとされていました。
しかし、実際はそう簡単ではありません。 シームレスなアップグレードとは裏腹に、業界は製品発表の遅延、プロジェクトの中止、そしてソフトウェアの欠陥に起因するリコールといった現実に直面しています。
2025年9月19日、シャオミー(Xiaomi)は、SU7(エス・ユー・セブン)という電気セダンを11万6千台以上リコールする事態となりました。 理由は、高速道路用運転支援システム、いわゆるハイウェイ・パイロットに欠陥があったためです。 レベル2のドライバーアシストソフトウェアが、異常な交通状況において安全に動作せず、ドライバーへの警告も十分ではありませんでした。
その数か月前には、フォード(Ford)が野心的な「エレクトロニック・ブレイン」プロジェクトを中止しました。 これはテスラ(Tesla)に対抗する次世代車両アーキテクチャを目指したものでしたが、開発コストが膨張し、ソフトウェアの納期遅延が繰り返されたためです。
これらの事例は、単なる個別の失敗ではありません。 ソフトウェアの構築とガバナンスの方法が、いま求められるスケールに適していないという、自動車業界全体に共通する構造的な課題を示しているのです。
核心にある複雑性
現在の車両を支えるアーキテクチャを見れば、遅延の根本原因が見えてきます。 多くの自動車メーカーは、ECU(イー・シー・ユー:電子制御ユニット)を積み重ねる形で進化してきました。
エアバッグ、インフォテインメント、ADAS。 それぞれの新機能が専用のハードウェアとコードを伴って導入されてきた結果、 予測不能な干渉を起こす「断片的なシステムのパッチワーク」が生まれてしまったのです。
かつてはソフトウェアが補助的な機能だけを担っていたため、こうした複雑性も管理可能でした。 しかし、SDV(エス・ディー・ブイ)の時代では、ソフトウェアが操舵・ブレーキ・運転支援を直接制御します。
安全性が極めて重視される中、完全な統合と厳密な検証が不可欠となり、 氷道や予測不能なドライバーといったすべてのエッジケースを、コード承認前にテストしなければなりません。 このプロセスには時間がかかり、レガシーな配線構成や複数のサプライヤーとの連携が遅延をさらに増幅させます。
加えて、文化的なギャップも大きな障害です。 年単位の機械設計サイクルに慣れたメーカーが、いまや数週間ごとのソフトウェアアップデートを求められているのです。
アジャイル開発、継続的インテグレーション(CI)、OTA(Over-the-Air)更新といった手法は、 多くの研究開発現場において、まだ十分に根付いていません。 その結果として、理想と実行力のギャップが深まっているのです。
後れを取ることの代償
その代償は小さくありません。 ソフトウェアの準備遅れがモデル発表の延期を招き、数十億ドル規模の売上が失われています。
検証から漏れたバグがリコールを引き起こし、顧客の信頼を損ねる事例も増えています。 まさにXiaomi(シャオミー)が今、直面している問題です。
一方、サプライヤーは変化するアーキテクチャ要件に適応しきれず、統合できないモジュールを納入するケースもあります。
さらに厳しいのは、各国政府による規制強化です。 北京からブリュッセルに至るまで、運転支援ソフトウェアに対する監視が強まり、 修正には記録・承認・認証が必要となるため、開発スケジュールはさらに長引くことになります。
単なる利益の問題ではありません。 競争優位性そのものが揺らいでいるのです。
テスラ(Tesla)をはじめとするデジタルネイティブ企業は、 最初から集中型かつモジュラー化されたソフトウェア構成を採用しています。 彼らのように、頻繁で信頼性のあるアップデートを実現できる企業こそ、いま優位に立っています。
モジュール型アプローチこそ、前進への道
しかし、抜け出す道はあります。 それが、モジュール型のソフトウェアアーキテクチャです。
ハードウェアの世界で成果を上げたモジュール設計の考え方を、ソフトウェアにも適用する。 これが、これからの道を切り開く鍵となります。
一枚岩のコードではなく、標準化されたインターフェースを持つビルディングブロックとしてソフトウェアを構成する。 そうすることで、再利用性が高まり、機能単位の更新が可能になります。
たとえば、車線維持の検証済みモジュールがあれば、 それを複数の車種に再利用でき、ゼロからの再設計・再テストは不要です。
アップデートはモジュール内にとどまり、システム全体への影響を最小化。 デジタルツインやシミュレーションにより、仮想環境で数千ものテストを迅速に実施できます。
ただし、これは技術面だけの話ではありません。 組織構造の変革も必要です。
インターフェースルールを明確にし、ガバナンスを徹底。 サプライヤーには共通プラットフォームへの準拠を求め、 エンジニアは「リリースは年1回」ではなく、継続的なテストとデリバリーを基本とする文化へと転換する必要があります。
遅延を、競争優位へと転換する
この変革は決して簡単ではありません。 フォード(Ford)の中止プロジェクトは、野心が実行を上回るといかに代償が大きいかを示しています。
それでも、成功した企業に待っている成果は桁違いです。
市場予測によれば、SDV市場は2024年の3,910億ドルから、2030年には1.6兆ドル超に成長すると見られています。 ただし、この成長はすべての企業に等しく訪れるわけではありません。
信頼性が高く、再現可能で、安全なソフトウェア提供ができる企業にこそ、市場の果実がもたらされるのです。
自動車メーカーは選択を迫られています。
断片化したシステムをつなぎ合わせてしのぎ続けるのか。 あるいは、モジュール型ソフトウェアアーキテクチャを戦略の中核として据えるのか。
後者を選ぶ企業は、今抱える「ソフトウェアの頭痛のタネ」を、 明日の「競争優位」へと変えることができるでしょう。
なぜなら、ソフトウェア定義型車両(SDV)の時代において、 ソフトウェアは単なる付加価値ではなく、それ自体がクルマそのものだからです。
そして、金属(ハード)と同じく、コード(ソフト)においてもモジュール性を極めた企業こそが、 これからの道をリードしていくのです。